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初めまして。こんにちは。
Easy Going Life Partnerです。
現在、心理セッションの方面ではImran、音楽活動としての方面ではHarlequinsという名前で活動しております。
Imran(イムラン/イムラーン)は、あちらの方の古い古い歴史、イエス・キリストの母である聖母マリアの家系の名前であるそうで、いわばミドルネームとして命名を頂いたものです。
Harlequinsはハーレキアンズ、「道化師たち」という意味ですが、
もしくはアルレッキー⁽フランス語読み⁾などと呼んで下さる方も♪

お好きな呼び方していただければ構いません。
……覚えにくい…?そうかもしれません。ごめんなさい。

しかし、唐突に打ち明けますと、私達Harlequinsは、
実は幼少期より"人格解離"とか"解離性同一性障害"といわれる症状を
抱えており、その中でも「主人格のいないタイプの人格解離」なのです。
同じような症状をお持ちの当事者さんにはこれで何となくおわかりいただけると思うのですが、ご存知ない方はこれではわからないですよね^^;
私達の状態(人格解離など)については、こちらこちらのページにて説明しています。もし"人格解離"の問題も含めてHarlequinsとは要するに何者なのか、ご興味ある方は、こちらもご覧くださいませ。
また、Harlequinsの社会的経歴(ビジネス的な履歴)については「私達Harlequinsとは」のコンテンツでお話させて頂いております。このページをお読みいただいた上でご興味をお持ち頂き、理解してみたい!と思っていただけた方は、どうぞご興味にあわせてそれぞれのページに飛んでみて下さい。

…と、いうわけで、私達はひとりの人間でありながら「1人」ではなく、
たくさんの別々の名前や個性を持った人たちが集まって、現在生活・活動をしています。ですので、ひとりひとりの名前を覚えていただくよりも、"コンシェルジュの受付"として"Easy Going Life Partner"と名乗らせていただいた方が、まだ覚えやすく親しんでいただけるのではないかなと、思うのです。
私達は、心理面・音楽面、どの活動においても、
「Easy Going Life Partner」=「あなたが生きやすい人生を歩むためのパートナー」
でありたい、と、願っています。


この時点で、もしかしたら…
「こいつおかしいんじゃないの?そんな病気や狂ったみたいな話振り回しながら"仕事してる"とか"コンシェルジュ"とか誰も信用するわけないじゃん!」
と思われる方もおられるかもしれません。ご存知ないだけの方々には。
しかし実際、私達は小学校の時からずっと公立の普通学級の中で育って
きましたし、寧ろ周りからいろんな相談事を持ちかけられ続けていた方でした。
社会で普通に(一般の方よりも疲労が激しかったりはしますが)アルバイトもしてきましたし、音楽教室としても生徒さん方や子供の生徒さんの親御さん達にも、ちゃんと社会的な信用を頂きながら、この世で生活しております。
​そして実際にご依頼頂いた方々には、Harlequinsの中のひとりひとりは戸籍謄本などとは関係なく、ちゃんと社会的に信用でき立派に存在しているメンバー達だ、と、お取引やセッション・レッスンの中で何の違和感も感じることなく接して頂いていると思います。
また、下記の項目にも繋がってゆきますが、当事者については当事者でないとなかなか理解されないこともあります。ですから、当事者によるコンシェルジュというのは、当事者の方々にとっては特に必ず世に必要とされるものであると感じております。

―Easy Going Life Partnerについて―
私達の活動は、Easy Going Life Partner、このサイトの至るところに記述されているような障害やマイノリティを抱えて生きてきた当事者である私達が、
同じくマイノリティを抱えた方々その近しい人たち、また何らかこの世に
生き辛さを抱えている人たちに、
当事者目線においてご相談に乗ったり、音楽療法やアロマ・ハーブ・催眠・ソマティックエクスペリエンス⁽トラウマ解除のためのアプローチ⁾・他各種心理療法・瞑想法・ヨーガスートラ⁽ヨガの聖典⁾・整体・スピリチュアルケア⁽人の傷を身体と心だけでなく、身体・心・社会・魂として全人的問題を扱うセラピーの概念⁾・私達が持ち得る知識や経験を総動員して皆さんが生きやすくなる方法をご一緒に考え提案させていただく、
という活動です。
特に今までの経験や私達の性格、学んできたものを活かした上で、
"当事者目線でお話を伺ったり"、
私達オリジナルメソッドによる"当事者の生活上のアドバイス""個人に合ったリラックス法の提示"、
また、"音楽教室"をやっております。
同時に、音楽大学時代の経験を活かして、楽譜や音源の制作の請負もやっております。

また、現在は、私達が体験した人生でも1,2に入るであろう大きな事件の経験を経て、
人生の大きなひとつの終焉のようなものを体験し、
更に世の中の物事の見え方がガラリと変わり、
今までのものに加えて更に集大成のように自分たちの中に体系化されてきた
独自の「
魂俯瞰性理論」による、
どんなトラウマを抱えた方でも過去から解放される―魂、究極の解放!心が幸せしか選べなくなる光の生き方!
が、私達のすべての活動の根底概念として敷かれております。



​―私達について―
さて、そんな私達は、人格解離だけでなく、生まれた際に重度の脳性麻痺と診断され、7人の医者より、成長しても100%寝たきりになるだろうと宣告されました。また、未熟児であり発達障害の診断も同時に受けたそうです。幼少期のリハビリや、音楽や心理学との出会いにより、私達は医師の宣告を覆し普通学級に通い成長しましたが、脳性麻痺による運動失調や、発達障害、更には物心ついた頃から発覚していた自分の性別に対する違和感や自分自身の存在に対する違和感(小学校低学年辺りの頃から既に人格解離の状態であり、私達は自分の物質的身体の持ち主ではありませんでした)、それらに付随するうつ症状や神経症、後にそのためだったのだと発覚したHSPという性質などのために、普通学級にいながらも人と同じ事が人と同じようにはできず、見た目が通常なだけに周りから理解されず、自分で自分の理解もできず、人間関係もうまくいかず……
もがきながら成長してきました。

人とのコミュニケーションや歩きによる移動、はたまた人の気配や世の中から受けるあらゆる刺激が苦手だった私達は"人間関係"と"通い""受験""競争社会"などへの不安から、通信制の高校を卒業、しかし子供の頃より音楽と心理学という2つの学問の柱と密接な関係があった私達は、音楽大学で音楽療法を学び、また、アロマやハーブ、催眠療法を始め各種心理療法を学びました。


―当事者だからこそ理解できることがある―
家族関係が非常に希薄な現代の世の中で、私達⁽の器⁾は両親には非常に愛されて育ちました。しかも、かなり視野が広くあらゆる意味で型にはまらない考え方のできる両親のもとで成長しました。
⁽これだけ書くと家族関係に問題がなかったと思われるかもしれませんが、非常に複雑極まる問題がたくさんセラピストとの間で浮かび上がってきたような家庭環境でもありました⁾

しかしその両親でさえ、今現在の私達の状況を理解・共感してはいません。
幼い頃から人格解離の状態を呈していた私達は、両親から扱われる名前や性別が違ったり日常生活での違和感などを口にしていたようです。しかしある意味リベラル過ぎる両親は、「幼い頃はいろいろなことがあるしいろいろなことを口走るものだ」と受け流していたようです。そうでなくとも自分達の子供は既に先天性脳性麻痺でもあり発達障害でもあり、予測もつかなかったのですから。
また、人格解離には付き物ですが、私達は人生の様々な時期のことやイベントごとなどの記憶をごっそり持っていないことがあります。両親との会話の中で過去の出来事や行った場所などを全く記憶していないようなことも多くあるのですが、これも両親は、「成長が遅かったから記憶機能がしっかりし出したのも遅かったのだろう」程度に思っています。いや、実際先天性脳性麻痺などの影響も複雑に絡み合って、記憶システムの形成が不完全で部分もあったかもしれません。
あらゆるものが複雑に絡み合っているので、医師でも細かい部分の原因特定はできないでしょう。
そうでなくても、解離も脳性麻痺も発達障害もHSPも、全て医学界ではわかっていない部分が多いものですから…。

良く記憶していませんが、小学校くらいの時から既に自傷や希死念慮もあったようです。両親にはひたすら泣かれ、「生きたくても生きられない人がいる、食べたくても食べられない人がいるのに何故命を粗末にしようとするのか、なぜ神様に与えられた身体を傷つけるのか」と戒められました。

高校の頃、当時の生活状況や家族の状況などなどあらゆる事情も重なってか精神的混乱はピークに達し、数日に亘って遁走し行方不明になりました。
幼い頃から非常に規則的生活の家庭で生活リズムを崩すようなこともなく、夜中に少し起き出して家の中を歩き回るようなことがあるだけでもすぐに気が付く心配性で敏感な母親のもとで育ちましたから、これは本当に大変なことでした。警察沙汰になったばかりでなく、紆余曲折を経て何とか連れ戻された時には両親ともに心配で憔悴しきって、母親など危うく死なせてしまうところでした。
この時も事実を究明されようとする中でどうしようもなく人格解離をカミングアウトしましたが、この時は精神的不安定の絶頂だった母親に、「そんなことあるわけがない、嘘だよ」と泣きながら真っ向から否定されました。

両親に対して人格解離…というよりも、両親は理解しない、そして既に成長しきっている子供のために年老いていく両親(その上2人とも難病を抱えており、母に至っては昔から精神科とも縁がありました)に心配をかけないためにも、自分達の存在自体についてもう決して話すべきではないと決定的結論を下したのはこの時でしたが、それは人格解離についてだけではありません。

私達は先天性脳性麻痺で小脳が全く機能していなかったり発達障害の傾向があったりはしますが、普通学級で他の子供達と同じように育てられた"グレーゾーン障害者"です。
外側からは目に見えない運動失調などのために、他の子と同じやり方で同じ事ができないことはいっぱいありました。日常生活で使われる視野や動体視力、体力、身体中の微妙な筋力の使い方がうまくコントロールできてないがために「ごく普通」と思われることや動作が他の人達と同じようにできない、などなど…今ここで書いても良く意味がわからないかもしれませんが、このように口で簡単に説明することが困難な支障が日常生活でたくさんありました。発達障害やHSPでの特性によると思われる感覚過敏や、外界のあらゆる刺激に対するストレス耐性、人間関係などでも支障がたくさんありました。今でもありますし、そこから更に複雑に様々な問題に発展してもっと説明ができなくなっている困りごともあります。
2019年になろうとしている今現在、仕事でも実は悩んでいます。すごく環境的に恵まれて今までで一番続いたアルバイトでしたが、どうにも限界がたくさん見えてきてしまったため、Easy Going Life Partnerの活動だけに絞ろうかとも考えています。
そしてこれは両親にも相談できません。両親は脳性麻痺や発達障害については知ってはいますし理解できない苦労がたくさんあるようだとは感じていますが、それでも本人が目に見えないところでどのような苦労としているかまでは理解しようがありません。本人ではないわけですし同じ障害を持ったこともないのですから。ましては人格解離やHSP、うつなどに関しては全く範疇外です。何か抱えているらしいけど私らには全然わからん世界だ、といった感じです。

家族だけでなく私達はもちろんカウンセリングや精神科に通った経験もあります。
が、これは両親以上に解ってくれるようなことは一切ありませんでした。
性別違和で相談したスクールカウンセラーとはカウンセリングどころか大議論を戦わせる羽目になって逆に一気に精神的不安定に陥る羽目になりましたし、住んでいた地区の相談窓口には何度も長いこと話をさせられた挙句たらいまわしにされました。
心配性の家族環境や歩いたり移動が苦手なこともあり近くの精神科に通った時は、とにかく適当な良くわからない診断名ばかり出され、その割に何の解決法もくれず相談にも乗ってくれず…
私達は人格解離があり「そもそも戸籍と肉体の持ち主が自分とは別人」であったり「診療に行く度に受ける人格が違う」など根本的に問題がありました。ですが、これを話すことはできませんでした。ある時ある人格が問題を起こし学友に連れて行かれ、遂に医師に人格解離を話さざるを得なくなったことがありましたが、その時には「それは解離性同一性障害かもしれないが、うち(の病院)では診れない」と一言言われただけでした。
医師に直接「それは明らかに人格解離だね」と初めて言われたのは、丁度1年程前です。しかしその医師は日本でも数少ない人格解離の研究家であったため言えたことであり、その上その病院は私達にとってはそこまでの道が非常に歩きづらく、通い難く、なかなか行くことができません。

それに、医者というのは結局「治療」という名目だけは果たさなければならないので、とりあえず「診断」に全ての時間を割きます。治療のためには精神状態が一旦がくっと落ちたり不安定になることもあります。日常生活を蔑ろにしてでも、とりあえず形に見える「症状」だけをなくそうとします。医者のいう「治療」とはそういうことです。社会人には非常に難しいものがあります。
しかも、私達当事者というのは、社会生活において困っているから相談に行くのです。しかし医療機関やカウンセリングでは、社会生活において困っていることに対しては直接相談に乗ってくれません。彼らにとってそれは"治療"になりませんし"実績"になりませんし、そもそも彼らには病気や障害の学術的知識はあっても当事者達の実際口で伝えることが難しい複雑な症状や日常の支障などは知る由もありません。また、何とか話して理解してもらおうと努めても、医師やカウンセラーにはその"体感"経験がないわけですから、解決しようがないのですよね。これは家族や近しい人でも同じです。


―Easy Going Life Partnerの始動―
ならば!経験ある当事者が当事者たちの相談に乗ったり、当事者同士で情報を共有し合う場が必要ではないのか。

同時に、私達は幼い頃から自覚しないままに人の無意識を会話をしたり、知らず知らずのうちに後に催眠技法だと知った技術を使うなどしていたことから(それを間違って使ってしまわないために)催眠療法を独学したり、幼少期脳性麻痺で何の反応も示さなかった私達に家族が音楽をひたすら浴びせ続けてくれた効力で私達が外界に反応したりリハビリができるようになり、100%寝たきりという医師の宣告を覆したことから後に音楽療法を、また自分達の心の違和感を知りたいがために心理学や各種心理療法を学び続けてきました。
これらを活用しない手はありません。私達の知り得る知識や技術・経験全てを総動員して組み合わせて、同じように人知れぬ苦労を背負っている当事者たち、また今の世なぜだか生き辛い…という人達の生活が少しでも楽になるお手伝いができないか。
これが、Easy Going Life Partnerの活動を始めるきっかけとなりました。

―私達の現状―
私達は未だに解離しています。日常困っていることもたくさんあります。
しかし、人格解離については小中学校の頃から通信制高校、音楽の専門学校、その中退後一旦社会人をしていた間、通信制大学、音楽大学、卒業後の社会人生活と流れてくる中で、外界に対応する方法、うまく他人や外の世界、また自分達の中の世界や中にいる他人たちと共存し協力していくやり方を模索しながら、今現在このような活動をしたりアルバイトをしたりして生活しているまでに落ち着いてきています。
同時に、私達の中にはいろいろなタイプの人間が共存しているため、寧ろ相談者さまや音楽のレッスンの生徒さま方に対して、いろいろな角度からの考え方や意見が出てきます。中でも昔から私達の内部でも相談役として存在してきた人たちは、元々がカウンセラーのような気質であり、特に意識しなくとも必要に応じた心理療法や催眠技法を取り入れることができます。
その他、私達はうつやその他諸々の神経症の症状、発達障害やHSPの特質ゆえに日常発生する困りごとに対して、いろいろなリラックス法や気分転換、考え方の切り替え、生活改善などなど乗り切る方法をいわば自らを実験台に研究してきているわけです。

―まとめ―
ですので、私達はいわゆる"健常者"でも、その道をしっかりと極めたプロの心の専門家というわけでもありません。が、当事者のひとりとして、生き辛さを肌身で感じながら試行錯誤して道を手探りしながら人生に立ち向かっているひとりとして、同じ当事者の方々当事者を理解しようとなされている方々なぜだかまだよくわからないけれども世の中生き辛いと感じている方々の、お手伝いできることがあると実感・確信をして今現在、この活動をしています。
相談役、というよりは、Easy Going Life Partner、同じ要素を多く含む道を歩む「Partner(パートナー)」として、皆さんと共に在りたい。その一念です。​

同時に、世の中のマイノリティ当事者の人達の情報収集に役立つ場のひとつとして、情報の仲介役や、世の中とマイノリティの人達の架け橋ともなっていけたら、と、願っている次第です。

ウェブサイトだけではなくTwitterやBlog、Youtube、Facebook、LINE@などでも活動しておりますので、ぜひお気軽に、お話掛け下さり、またご利用下さると幸いです^^

​ひとつひとつの活動の内容については、各コンテンツをご覧下さい。


​Harlequins所有資格についてはこちら

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