Harlequins
~私達の世界と存在表明~
Harlequinsの
現状
GID(性同一性障碍)を抱える人達は、自認する性と正反対の特徴を持ち正反対の性と判別される自分の身体を、
しばしば「着ぐるみを着ているようだ」と表現します。
私達自身も性同一性障碍ではないかと自分達を疑い、またその疑いの元にカウンセリングなどを受けていた頃もありましたが、私達の状態も似たような形で表現できます。
私達はこの身体の持ち主ではない。更に、GIDの人達と異なるのは、戸籍や身体が生まれた時に名づけられた名前ですらも、自分のものではないのです。その他、私達の場合は(似たように人格解離の症状といわれる人達でも、細かい状態は人それぞれ違います)、自分達の姿形ですらも、内部の精神世界では外部から見られる身体とは別の身体(区別のため便宜上精神体と呼びます)や別の声を持つ場合も多いです。
なぜ、そのようなことが起こり得るのでしょうか。・・・と言われるとはっきりとは説明できませんし、私達自身生まれた時(精神世界で人格が誕生することを私達は"確立する"と呼んでおりますが)からこういう状態でしたので、最初から、ありのままがこうなのだとしか
我々としては言いようがないようなものなのではありますが、少なくともこのページにおきましては、私達が外界と区別して"内部事情"と呼んでいるものがどんなものであるのか、これが"Identityの問題である、自己紹介ができない"とはどういうことなのか、私達が自身のことを書くとき、なぜ自分自身のはずなのに「私」ではなく「私達」と呼ぶのか、そしてひとつの身体に多くの"操舵者"が存在している・またそれでいながら戸籍の名前を持つ者が事実上いないとはどのようなことであるのか、また私達が医師から言われた"人格解離""解離"という症状とは何なのか、それと同時に私達の場合(上記でも触れましたように同じように人格解離・DIDなどと言われてもそれぞれ症状や状況が違う場合が殆どのようです)ではどうなのか、というようなところでお話させて頂きたいと思います。
※但し、私達はあくまで医師・精神医学の専門家ではありませんので、このホームページで書かれる医学的情報が必ずしも医学界におけ
る正確な情報であるとは限りませんことをご了承の上ご閲覧下さい。また、このページの内容は昔私達の中の一人が作成した別のホ
ームページから引用する内容が多々あります。
解離とは?
まず、「解離(かいり)」という言葉について説明します。
解離というのは、簡単に申しますと、「バラバラになる」に近い意味です。まあ文字通りに解釈すれば「解けて」「離れる」と同じような意味の字が2つ続いているので、本当に「バラ×2」といいますか。
しかし、「解離」という言葉自体は、病名ではなく、普通の言葉です。
さて、では「何が」バラバラになるのか?私が今回説明したいのは「意識の解離(つまり意識がバラバラになる、分解される)」ということですが、実はこれも、普通の人間には誰にでもある現象だそうです。
つまり、「病気ではない解離」と、「病的な解離」があるのです。その二つについて説明していきます。
○病気ではない解離
まず、「解離」という言葉自体は病名ではないということをもう一度申します。
「意識の解離」という現象も、本当は人間の健康な精神活動においても必要不可欠なものであり、解離現象を無意識にちゃんとコントロールすることは、人間の通常の能力の1つなのだそうです。
では人間誰もが持っている「解離状態」とは一体どのようなものがあるのか?
例えば。以下をご覧下さい。
※どうぞ各項目をクリックしてみて下さい。項目を読むだけではどういうことか難しいですので、それぞれについて少し私が補足してみた説明が出てきます(但し、私の考えによる、私独断での文章ですので、正しい解釈かどうかはわかりません。)
・何か作業に集中していて(勉強に集中する・テレビに熱中するなど)、その時に何か話しかけられたりしても気付かない。また、その間起こったことや時間が経ったことに気付かない。
・ぼーっとしていて(または何か考え事をしていて)時間の経ったことに気付かない。
・・・以上のような事柄が、日常誰にでもある解離に分類されるようです(勿論、これだけというわけではありません。)
○病的な解離(解離性障害)
病的でない「正常な範囲の解離」と、「病的な解離」とには、連続性(つながり)がある、と考えられているようです。
病的ではない解離の説明の中で、「解離現象を無意識にちゃんとコントロールすることは、人間の持つ通常の能力」であると書きました。しかし、その「通常の解離機能」が通常に働かなくなったとき―解離現象をうまくコントロールできなくなり、解離の仕方も通常のレベルではなくなったとき―、その「解離」状態が量的・質的に重症になったものが解離性障害と考えられているようです。
つまり・・・その「通常のレベルではなくなり、量的・質的に重症になった解離」というものはどういうものなのか・・・。
「解離」とは、「意識(自我)がバラバラになることだ」と説明をしましたが、自我(私自身、というもの)が解離するということは、その「自我(私)」というものをつくり上げている「記憶」「意識」「運動」「感覚(視覚や嗅覚などといった)」などが損なわれ、正しく機能しなくなるということです。
解離性障害というのは、その人の自我が耐えられそうにないほどの過大なダメージを受けた時、かろうじて防衛手段として自我をバラバラに解離してしまった、そのような障害だそうです。
解離性障害というのは、4つの障害+特定不能の解離性障害という形に分類されています。
Harlequinsの
ケース
さて、医学的な話はこの辺りで終わりとさせて下さい。
私達は医師でも学者でもなければ、自己診断をしたいわけでもない。ましてや、私達は内部の存在、いわば医師達のいうところの"病態"そのものともいえる存在なわけですから、寧ろそんなことは関係なく存在をありのままに受け入れて欲しいとしか思っておりません。寧ろ自分自身の物質的身体が欲しい。ですから、自分達自身を"病態""症状"と呼ばせかねないような説明はしたくもないわけで・・・。
さて、このページは昔のホームページの引用だらけとなっておりますが、ここでもまた、私達が良く言うところの"内部"とは何なのか、
"人格""交代"とは何なのか、説明されている文(そして内部の数名の目線から)を載せてみます。
また、私(優)よりもう一言だけ補足させて頂きたいことでございますが・・・、私達の存在自体が医師達より"病態"といわれるものなのであるならば、やはりお前達は"存在"ではなくただの"症状"ではないか、それでは消えるべきでは、消えることが"治療・完治"への道なのではないのか、と言われるかもしれません。
ですが・・・今現在私達の中に"戸籍の名前を名乗る者"つまり生まれた時より身体の持ち主であるはずの"オリジナル人格"が確認されていないという時点で、もし私達が消えたとしましょう。例え大勢で問題を起こしながら複雑ながらやりくりしていたとしても、この身体の本当の持ち主ではなかったとしても、それでも代行者として社会的にもこの"人間(身体)"の信用を得、対人関係も社会生活もこなしている私達(症状・病態)、多少大多数の人間達とやり方が違ったとしても"生き抜く術"を知っている私達(症状・病態)が消えたとしましょう。
オリジナル人格がもし実は奥底の方に存在したとしても、それは恐らく生まれて間もなくかかなりの幼少時において無意識(深層意識)に完全に隠遁してしまった者。その者が出てこようと出てこまいと、それこそ社会的に目に見えるこの"身体"は"廃人"です。
さて・・・"社会の目"というものから見たとき、一体どちらが"病的"ですか?
はたまた、もう既にここまで生きてきてしまった時、生まれたか生まれてないか程で人生から逃げてしまったオリジナル人格だけが取り残された時に、一体どこで誰が、誰の責任と財力において、その者が社会で生きていける手助けをしてくれますか?その者が自分の人生を生き直していくのを見守ってくれますか?
私達の存在意義です。