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外部・内部とは?-恵名による記事

私達は良く「内部」「外部」という言葉を使います。
これがどういうことかといいますと、まず私達は現実世界の人達の肉眼に実際見ていただくことができる「肉体」を持っておらず、器(肉体)の中の「精神世界」と呼んでいる場所に住んでいます。この精神世界の中では、私達は自分の肉体も持っていますし、お互いの姿を視認することもできます。

この私達の住んでいる世界、これが器の「内部」に存在するということで、私達はこの精神世界のことを「内部」「内部世界」と呼ぶことがあるわけです。それに対して「外部」はこの現実のいうなれば物質世界。器の「外」の世界であるからですね。

私達は外部の方に私達の存在という説明をするとき、良く「宇宙船に乗って操縦している感覚」という表現をします。これがどういうことか。
つまり外部世界は、私達が乗っている宇宙船(肉体)の外の世界なのです。逆にいえば、私達が外部で外部の物質社会の人達や物と接触しようとするとき、人が宇宙に出て宇宙の物と接触する時に宇宙服や宇宙船越しにしか接触することができないように、私達は器(肉体)越しに外部の物質世界と接触するわけです。(そして接触したくなくても誰かが接触せざるを得ない)

また、私達の核に近い人格である隼(基本代理人格)などは、性同一性障碍で、器は自分の肉体同然のものであるはずなのに、隼本人は男性、器の生物学的性は女性です。この時隼は良く「着ぐるみを着ている」と言いますが、私達人格にとってもこの表現は近いかもしれません。
器は外部と私達が接触するための「宇宙服」のような感覚でもありますが、自分自身とは全く違う人間であるという意味では「着ぐるみ」ということもできます。そして確かに社会的には、私達は他の人達から見えている姿「着ぐるみ」になりきらなければならないわけです。隼もそうですね、「自分は男なのに、周りは『女』として見るしそう扱いたがるから、女になりきっていなければならない、そうしなければ社会的に波風が立ったり不利に陥ったりする」。

しかし周りから見れば操縦者が誰であろうがやっぱり着ぐるみに変わりない、その中身の人間が代わるなどとはおかしな話だ、と言われてしまえば、それはどうぞそうお考えになってください。それは物質社会の考え方でしょう。確かにいくら着ぐるみの中身が代わってもその中身が精神的にどれほど孤独に苦しみを抱えていようと、どうせそれは物質社会の目から見れば物質的ではないものです、目に見えないものです。
そしてどこまで話を進めようがそのような物質至上の考え方のみを貫く方は、これまで、そしてこれからお話することは全て馬鹿げた話だと思われることでしょう。まあ、時間の無駄ですからお引き取り下さい。既に読んでおられないとは思いますけれども。

・・・ところで周りから見ればどうせ変わらないと書きましたが、実をいうとなかなかそうでもありません。
例えば、テーマパークなどで良く歩いていたりパフォーマンスをしている着ぐるみでも、中に入っているバイトの人間がシフトの都合などで交代したら、やはりいくら着ぐるみとはいえ交代する前の人と後の人ではどうしても動き方に(中には癖、とまではいかずとも)違いが出てくるでしょう?また、前任者が何をやっていたか、同じ着ぐるみの中に入ったからといっても、記憶にはないでしょう?当然、仕事内容で必要事項は引き継ぎますよね。しかし、他人から引き継がれてさえも、それは当たり前ですが情報に過ぎず、自分の記憶ではないでしょう?その上どうしても不完全で漏れがあったり多様に解釈できる引継ぎ文があったり行き違いがあったりしますよね?

それが当然であるとわかっている社会であってでさえも、客からクレームが来たり業務に混乱を来したりしますよね?


私達の場合でもそうなのです。

更に言えば、私達の場合は仕事用のみに選ばれ集められた人員達では当然ないわけですから、その着ぐるみ(器)がしなければならない仕事(身体の予定や行動など)をこなせる者が常に表に出ているとすら限らないのです。

それがしかも社会的な目から見れば同一人物と見られるひとつの人間(身体)の中で常に起こっていることなのですから、どれだけ複雑なものであるのか、何となくイメージいただけるのではないでしょうか。



あ、そうそう、いくら「着ぐるみ」とか「宇宙船」とか言ったって、私達が住んでいるのは「精神世界」です。着ぐるみのように脱ぎ着して人間が交代するわけではもちろんありません。ここは宇宙船の中で何人かが交代で仮眠をとったり操縦したりするようなイメージの方に近いかもしれませんが、それでも乗組員は2人3人ではありません。
ここはイメージとしては、「宇宙の中に地球があり、地球という入れ物の中に大陸がある」とか、「日本という大陸の中にさまざまな町(地域)があり、その中に様々な家があり様々な人間が住んでいる」という感覚でしょうか。
つまり、物質世界に対応する肉体という大きな器の中に、精神世界という、私達が住む世界があるのです。その世界の中にまた様々な居住区域があり家もあり様々な場所があり、その中にもちろんたくさんの人が居住しそれぞれ生活している、というわけです。
 

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