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内部・外部とは?-陽菜による記事

私の思うのも恵名さんとだいたい同じ感じです。
器の中に、外部世界とは全然違うんだけどー・・・でも見方によってはそんなに変わらないとも言えたりする、とにかくもうひとつの別の世界があって(要するにこの世界って、物質社会だけで成り立ってるわけじゃないわけじゃないですか。目には見えなくても、他にいくら次元があったり世界があったりしても全然不思議じゃない。)、私達が住んでいるのはその世界。だから、外部世界と接触をもつためには、外国人同士がお互いわかる言葉に合わせなきゃいけないのと同じように、この器を媒介として外部と接触する。
・・・だけど、この「私達の住む精神世界」は世界に他にも存在しても全然おかしくないような独立(?)した次元とか世界とかとはちょっと違って、あくまで「この器の脳・精神・心が作り出した世界」であるということも、あらゆる意味で忘れてはならない。

あと物質社会でないから結局のところ存在しているとはいえないんじゃないのか、って人。
この世の中って、物質社会のことだって突き詰めて考えていけば、どんなに遅くとも最終的には全て精神論に行き着くんですよ?宇宙の始まりは「無い(0)」から「在る(1)」へと変わったんですからね。その0から1の間がどうやって成されたのか、これは物質的な考え方だけでは埋まらないんです。
あ~~・・・ちょっと脱線しちゃいました、でももし精神世界が「無い」ものだと言われても、でも実際その中には私達存在してますし、精神世界が無いとすると私達も存在してないということになりますが、でも実際問題として私は自分の精神世界からこの器の意識を持って、この器を媒介として外部世界と接触して、実際このパソコンのキーを叩いてます。このパソコンのキーは実際私の意志で叩かれている(在る)のに、私の存在が存在しない(無い)とは、ちょっと訳の解らないことになっちゃいますよね。

それから・・・
この精神世界の人間っていっても、外部の人と付き合ったりして存在も認めてもらって、本当に個人として付き合ってもらってたりしたら、例えば外部の人と恋愛関係に陥っちゃうだとか、そういうようなことも普通にありえます。だってこっちだって人間ですから、人間相手に恋心を持ちます(笑)
だから外部と内部とか言ったって、そんないう程個人的なことでは隔たりはない、です。

まあもちろん内部の人間と外部の人間、生まれた意味や生まれ方や生きてきた環境も違いますから、やっぱり基本的根本的部分からの考え方の違いや文化の違いみたいなのもありますから、理解し合うのに難しいこととか時間がかかることもいっぱいありますけどね~。

でもやっぱり私達としては、人間として、外部の人とも負い目とか優劣とか無い人間として、存在を認められて、普通に分け隔てなくいろんな人とも接触を持ちたい。人間としての普通の生き方も経験してみたい。だって・・・、私達だって「普通の人間」なんだもの。

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